特集 小片コレクション 縄文時代の人骨
小片 保教授
【 略歴 】
1916(大正5)年前橋市に生まれ、昭和16年新潟医科大学卒業。新潟医科大学副手(細菌学)。海軍軍医。同25年東京大学理学部人類学科卒業。同27年同大学院修了。直ちに鳥取大学医学部に赴任(解剖学)。医学博士。同31年教授に昇任。同34年新潟大学医学部教授(第一解剖学)に転任。イラン・イラク学術調査。同37年理学博 士(東京大学)。東大第5次アンデス地帯学術調査。ペルー原住民の調査。同41年ミイラ研究その他で、エジプト他欧米諸国へ出張。同48年早稲田大学古代エジプト調査(第3次マルカタ遺跡人類学的調査)。(以後、49年第4次、51年第6次、52年第7次、53年第8次、54-55年第9次調査に参加。)同50年中米・アンデス地帯調査。同55年1月26日(エジプトより帰国まもなく)心筋梗塞により急逝。享年64才。遺体は新潟大学医学部に献体されました。

【 周囲から慕われた人柄 】
研究面では極めて厳しい先生でしたが、自己を飾らず、大らかで人情味あふれる性格を持っていました。学生時代から俳句を嗜み、美に対する感性も豊かでした。学生との交流を非常に大切にし、献体や人骨に対する尊敬の念は学生にも素直に受け入れられました。倫理観醸成の面でも新潟大学の医学教育に大きな貢献を果たしたといえます。医学生から強く慕われ、最も人気のある教授でした。

ミイラ研究とエジプト調査

 小片教授は、昭和30年代から40年代に、日本のミイラ即ち「即身仏」の研究にも力を注ぎ、崩壊の危機にあった多くの即身仏の保存処理に努めました。
 昭和46年早稲田大学古代エジプト調査隊がエジプトのマルカタ遺跡の発掘調査を行ったところ、ローマ時代の建物跡や墓地から大量の人骨、ミイラが発見されまし た。小片教授は、同48年の第3次調査から55年まで、6回の調査に参加し研究に協力しました。
 湿度の高い日本のミイラでは薬物を使わず段階的な断食や、死後も地中に放置し水抜きなどの処置を施しますが、エジプトでは内臓の摘出後に防腐剤を用います。「小片コレクション」にはエジプト人骨はありませんが、ミイラの作製、保存、修復の研究で、国内外で小片教授は大きな貢献を果たしました。
古人骨を計測中の小片教授(昭和42年夏) 古人骨を計測中の小片教授(昭和42年夏)
鉄龍海上人の即身仏を調査中の小片教授(昭和35年7月) 鉄龍海上人の即身仏を調査中の小片教授
(昭和35年7月)

小片保先生の想い出

吉村作治
早稲田大学客員教授
工学博士
吉村 作治


 小片保先生の想い出は、尽きることがありません。先生のお話や行動ひとつひとつが楽しく想い出されます。ある日、「昨夜ミイラに囲まれ首を締められた夢を見 たんです」とお話ししたことがありました。「ふむふむ」と頷かれた先生に「やぶれかぶれで、そのミイラに食いついたんです」と続きを言うと、「作ちゃん、ミイラは食わない方がいいよ。なんたってバイ菌がウヨウヨだからね」と真剣に先生。「先生、これ夢なんです!」でも「うんそうか」と終わったのでした。ミイラが大 好きな先生のエピソードですが、真面目におっしゃったことが基本的にぶっとんでいるので、私たちは意表をつかれてどっと笑いが起こり、周囲が和むのです。エジプトでは、私たちのアイドル的存在でした。
マルタカ南・魚の丘遺跡にて 調査中の小片先生 マルタカ南・魚の丘遺跡にて 調査中の小片先生

小片保先生から学んだこと

森沢佐歳
前富山大学医学部助教授
元新潟大学医学部第一解剖学教室
森沢 佐歳


 小片先生は、初対面にも拘わらず、発掘に参加している高校生、大学生、地元関係者と旧知のごとく話され、その日のうちに、調査団に溶け込んでしまわれました。しかし、人骨が発見されるや、急に無口になられ、真っ先に現場に向かわれ、僅かな骨片の見落としもないように、筆の一振りにも注意を払われ、真剣に作業を開 始されました。人骨の全貌が現れ、細部まで記録するスケッチの終わるまで、無言で続けられました。人情に厚く気さくな中に研究に対する熱意と真剣さの溢れる先 生でした。