青陵法律事務所代表
村山 弘義
1959(昭和34)年
人文学部社会科学科(法)卒
母校・新潟大学が来年、創立75周年を迎えますことを、心からお祝い申し上げます。今年は工学部が前身校から数えて100周年、農学部の同窓会も70周年をお迎えとのこと、誠におめでとうございます。私の出身の旧人文学部同窓会も、本年、発足から70年を迎えました。お慶びを申し上げ、今日の発展・充実に多大の寄与されました歴代同窓会長、本部・支部役員皆様方のご功労に対し、心から敬意と感謝の意を表する次第です。
7期生の私は、同窓会在席63年になり、歴史のほとんどをカバーしており、その間、初代の首都圏支部長を務めたりしました。国の役人定年退官後、都内で法律事務所を構えた平成12年(2000年)、先輩から同窓会首都圏支部をつくりたいとの話が持ち込まれ、熱心な先輩・後輩皆さん多数の協力があり支部が発足したものです。
同窓会活動は、「母校のため、同窓会のため」という有志皆さんの献身的な尽力と熱意に支えられていることが心に刻まれました。
初期の頃の首都圏支部同窓会では、懇親会中締めに第二の校歌と言われる「四季の新潟」が合唱されるのが常で、この歌を若手同窓生にも知って貰うべく新潟出身有名歌手 小林幸子さんに依頼、コロンビアレコードからCDを出してもらって皆さんに頒布し、一緒に大声で歌ったことが懐かしく思い出されます。
この春、東京目黒美術館の「ベルギーと日本」と題する展覧会に、新潟大学所蔵品として私の寄贈した太田喜二郎画伯油絵「赤い日傘」が展示され、ベルギーで修業した同画伯代表作として紹介されていました。
下條文武大学長(当時)の下で、経営協議会委員としてお手伝いしていたとき、法科大学院を諸般の事情で閉鎖せざるを得ないという残念なことがあり、図書館で勉学に励む学生らの癒やしになればと考えて寄贈したものですが、思わぬところで新潟大学が脚光を浴びていました。
大学による優秀な人材育成と活発な同窓会活動は、言わば車の両輪の如きものと存じます。益々の発展と隆盛を心からお祈り致します。