潟大学の旭町・西大畑キャンパスは、明治初期まで、砂丘と松林で覆われていました。この地に最初の高等教育の灯が点されたのは1873(明治6)年です。新潟病院が現在の医学町に建設され、医学生の育成を担いました。2年後には、官立新潟英語学校と官立新潟師範学校が現在の歯学部の敷地に建設されました。以来、高等教育のための施設が次々と建設され、県内の最高学府が形成されました。1949(昭和24)年、新潟大学が発足し、大勢の若者による活気と賑わいを呈しました。いくつかの学部が五十嵐地区に統合移転した平成初期からは、メディカルキャンパスとして、静かな発展を続けています。
本特集では、新潟市の街づくりや市民生活に深く関与した旭町キャンパス137年の形成過程を、地元の期待や支援内容に焦点を当てて、振り返りました。そこで見えてくるものに、高等教育、研究機関あるいは地域医療の拠点としての新潟大学に対する関係者の意識の変化があります。国と地方、社会と個人、在学者と卒業生など、負担の在り方に対する認識も、大きく変化しています。
新潟大学は今後どうあるべきか。同窓生はどのように支援すべきか。歴史を振り返りつつ、長期的な視点で、地域とともに、対応したいものです。
官立新潟医学専門学校煉瓦塀(明治44年)、 正門(大正3年)、 クロ松 |
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池原康造官立新潟医学専門学校長胸像 (大正6年、昭和29年復元) |
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新潟師範記念館 (昭和4年) (本紙6号にて特集) |
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医学部有壬記念館 (昭和60年) |
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歯学部桜植樹 (昭和48年) 国道拡幅に伴い移植 (平成17年) |
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は国の登録有形文化財 |