■特集にあたって

 今年60周年を迎えた新潟大学は、1949年に前身の旧医科大学、
旧制高校、師範学校、旧専門学校等を包括して設立されました。当時は
前身校の校舎を引き継いだため、キャンパスは県内各地に点在していました。
校舎・設備の老朽化もあって、1960年代に入るとキャンパスの整備・移転構想が持ち上り、
1965年2月に五十嵐地区への移転統合が決定されました。しかし、教育学部高田分校(上越市)や工学部(長岡市)の地元では移転統合に反対する声が上がり、移転統合に対する学生の反対運動も激しさを増していきました。ついに1969年2月の全学集会(大学当局と学生側代表との交渉)において、五十嵐地区への移転統合計画は白紙撤回され、学長の引責辞任に至りました。1969年3月には五十嵐地区に教養部の新校舎(現在の総合教育研究棟)が竣工されましたが、移転できないまま1年間放置されました。
 1960年代の後半は、70年安保闘争やベトナム反戦運動などの全国的な学生運動によって、日本全体が大きく揺れ動いていました。このような時代の熱波と五十嵐地区への移転統合計画が重なりました。難産の末に、ようやく1970年4月になって教養部と理学部が五十嵐地区へ移転したのです。その後、12年をかけて、1982年の教育学部移転を最後に五十嵐地区への移転統合は完了しました。
 現在、五十嵐地区には医歯系の2学部・2大学院を除く7学部・5大学院が集まり、学生と教職員を合わせて人口約1万人のキャンパスを形成しています。周辺には学生アパート、飲食店等も立ち並び、校舎の新改築、設備・施設の拡充も行われてきています。移転当時を知る同窓生にとっては隔世の感がおありではないでしょうか。総合大学の最大の利点は学問の枠を超えて交流できることです。最近は「副専攻」や「ダブルホーム制」に代表される学部横断的な教育改革の取り組みや学際的な研究も行われています。これらは、各学部・大学院が同じキャンパスに所在することを原点にしていると思います。
 本号では、新潟大学が総合大学として発展していく転換点となった五十嵐地区への移転から現在までの変遷を取り上げます。