貴重展示物の思い出

羽二生恵太郎
昭和13年新潟師範学校卒業
元新潟大学附属小学校勤務
羽二生 恵太郎


 昭和8年4月、私はあこがれの新潟師範学校の校門をくぐりました。このとき、左側に二階建てではあるが立派な洋館が目に入り、これが記念館でした。学校創立五十周年記念として、卒業生が費用を醵出して昭和5年頃建設したとのことでした、入学して間もなくクラスの面識会がここの二階の広間で開かれました。リノリュームを敷き詰めた床。高い天井、太いがっしりした柱や梁、金属製の窓枠、外側に開くガラス窓枠等、田舎育ちの私にとっては、はじめて接する文化の姿でした。
 その頃、医科大学、師範学校も新しく出来た新潟高等学校も大部分が木造の建造物であり、記念館は最新鋭の西洋建築物として光り輝いていました。そしてこの二階の大ホールは県内の校長たちの会議や私たち学生の集会に度々使わられていました。また、記念館の玄関は3・4段の階段があり堂々たる風格のある入口になっていたので、集合写真のバックとして最適であり、ここで度々写真を撮ったものです。
 終戦後、進駐軍が来るというので、あわてて1階に陳列してあった立派な鎧・兜を知り合いの父兄の家へかくしてもらったりしました。このとき「とき」の標本があり、これは大事に保存しなければならないぞと思ったことを憶えています。
 戦後住宅事情が逼迫していたので、附属小・中学の独身の同僚が木造の方の部屋に泊めてもらったり、二階の日本間に数名の教官で車座になって研究のため夜におそくまで論議したり仕事をさせてもらった懐かしい思い出があります。
 どうかこの記念館が学問の成るのを少しでも助けるための施設として長く愛用していただきたく祈っております。
新潟師範学校記念館新築工事
児童博物館の展示室

児童博物館の展示室  (右)剥製の大鷲、(左)参謀総長巣鈴木荘六大将の馬具

木造附属館の思い出

嘉村正規
昭和23年新潟師範学校卒業
元新潟大学附属中学校勤務
嘉村 正規


 本館に接続した二階建て木造の附属館は、和室が五部屋あり、多くの集会や宿泊者の寛ぎの場でした。
 私は1960年代後半から70年代に附属校に勤め、青銅の木立に囲まれた記念館と共に過ごしてきました。木造附属館が無くなる直前です。
 40年前の記憶を断片的に辿ってみました。
 先輩の方々が、食事をしながら親睦を深めておられた情景が目に浮かびます。第二の我が家の気分で寛がれていたのでしょう。疲れを癒すべく畳の上で横臥休息の微笑ましい先輩のお姿も拝見しました。大学紛争熾烈の時、大学本部前道路に学生が群がり争乱となり、記念館二階での会議を中断して玄関前で彼等の乱入を防いだこともあります。畳の黴の匂い漂う和室で、床の間の先達の掛軸や大先輩の扁額に見守られ、記念館独特の雰囲気の中で研究執筆の想を練り、夜更けて二階の広間で湿っぽい煎餅布団で寝泊りしたあの頃を懐かしく思い出します。

児童博物館展示物の情報提供のお願い

新潟師範学校記念館では、当初、児童への教育を目的として多数の貴重な展示物が陳列されていました。しかし敗戦後の混乱の中で、その殆どが散逸してしまい、行方不明です。それらの展示物の消息についてご存知の方がおられましたら、全学同窓会までお知らせ下さい。