【記念館の78年の歩み】
昭和4(1929)年
記念館完成
昭和21(1946)年
師範学校改組により財団法人に寄附
昭和24(1949)年
新潟大学教育学部図書館分館として活用
昭和41(1966)年
医学部医動物学教室として活用
昭和43(1968)年
教育学部で活用
昭和57(1982)年
教育学部附属校の会議室として活用
平成6(1994)年
放送大学として活用
平成13(2001)年
あさひまち展示館がスタート
平成17(2005)年
国の登録有形文化財に登録
平成19(2007)年

 本館の任務は教育者の集合研究に資することに在り。従って、将来に於ける越佐両州国民の淵源は本館に存すると謂うを得るべく、此の源泉にして、是々として濁らず、滾々として竭きざるものあらば、県下教育の振興、期して待つべきものあらん

…… 新潟師範学校創立記念式典(大正15年)片山三男三氏の挨拶から

 設立推進本部を新潟、支部を東京に設置し、同窓会員を中心に広く建設資金の寄附を仰いだ結果、五萬円(現在の価値に換算して、5億円に近い金額。当時の教員初任給が50円。)が基金として集まりました。その中でも、※注中野忠太郎1)(明治26年卒)一萬五千円、※注大倉喜八郎2)一萬円の大口寄附が目を引きます。当時の新潟市で類のない最新の鉄筋コンクリート建造物が清水組(現清水建設)の手で建てられました。
 児童博物館として建てられた内部には、238人から寄付された513品にもおよぶ貴重な展示品が陳列されました。充実した博物館として新潟県内外に知られ、多数の見学者が訪れました。
 陳列物は、蓄音機、貴重動物の標本・卵・はく製、活動写真機やフイルム、乃木大将の胸像、ロンドンタイムス社発行の世界地図、石油発掘のための機械、汽船模型、外国の食器、萬代橋架橋写真、米国教育雑誌、諸外国の貨幣・紙幣・切手、など多分野に及びました。

記念館二階の日本間
記念館二階の日本間
(右の掛け軸は乃木大将直筆の教育物語)
※注
1).
新津市の石油王中野家の二代目当主。昭和3年に家督を継ぐ。
2).
新発田市出身。軍需産業などで財をなす。教育に多額の寄付を投じた。
現東京経済大学の創設者。