特集 新潟大学 学生歌

■作詞者プロフィール

中村千栄子
学生歌発表会当日の中村千栄子氏
(写真提供:柏崎ふるさと人物館)
作詞家
中村 千栄子

 新潟大学学生歌を作詞した中村千栄子(なかむらちえこ、1932年-1997年)氏は新潟県柏崎市に生まれ、東京女子大学短期大学を昭和28年に卒業されました。昭和29年、新潟大学学生歌に応募し、1位入選。これを機に詩人の道を歩み始めました。昭和41年、女声合唱組曲「愛の風船」(大中恩作曲)にて芸術祭奨励賞、昭和56年、「花之伝言」(石井歓作曲)にて同優秀賞を受賞。昭和46年、文化庁の委託により、混声合唱組曲「風のうた」を作詞。その他、カンタータ「良寛と貞心」や数々の合唱組曲や童謡を作詞されました。
新潟大学学生歌の作詞者にきく

…学生歌の作詞をされたのは、いつですか。
中村 たしか昭和29年だったと思います。私が女子大を出てすぐ、家へ帰って花嫁修業をせよというので、泣く泣く郷里へ戻っていた頃でした。その年の末ですから、21歳の時です。

…作詞の動機はなんでしたか。
中村 特別の動機といって、何もないのですが、たまたま新潟日報の夕刊に、新潟大学で学生歌を募集しており、その締切が迫っているという小さな記事がのっていまして、今からでも間に合うと知ったら、急に書く気になったのです。

…作詞には、どんな点に苦心なさいましたか。
中村 それが、「みはるかす…」と出はじめたら、意外にスラスラと書けてしまったのです。先ず、越後の山々を、次に日本海を、そして越後平野と、ふるさとの自然を次々に思い浮かべたら、スラスラとおもしろいように文句が浮かんできました。強いていえば最後の「平和」ということばだけが、これはいろんな人がいろんな使い方をするので、どうしたものかと、ちょと迷ったくらいで、あとは、一気に書いたように覚えています。

…自信はおありでしたか。
中村 いえいえ。なにしろ、一晩で、学生歌と応援歌の両方を書いてその夜、速達で送ったのですから、翌日の締切に間に合ったかどうかも心もとなくて、入選などは思いもよりませんでした。それが忘れた頃、大学から呼び出しがあって、びっくりしました。

…入選が決まるまでの経緯は、どんな様子でしたか。
中村 大学から呼び出しがあって、本部へ行きましたら、エライ先生が並んでいて、いろいろ質問なさるんです。きっと20そこそこの娘が「みはるかす」なんて難しいことばを使うので、果して、本当に本人が作ったのかどうか、試してみたのじゃないでしょうか。二番の歌詞の「岩まきて」というのはどういう意味ですか、などというキビシイ尋問がありました。それでも、どうやら、この口答試問に合格して、入選と決まりました。

…入選決定後に大学はどんなことをしましたか。
中村 その年の秋に、賞金を頂きました。学生歌は一位入選で1万円、応援歌の方は二位佳作で千円を合わせて頂戴しました。嬉しかったですね。母にプレゼントをしました。それから翌30年の6月8日に新潟市の公会堂で発表会が行なわれ、その時の記念写真もあります。

…作曲について、ご感想はありませんか。
中村 作曲は高田の小山郁之進先生から、その恩師の箕作秋吉先生に依頼されたように承っています。箕作先生からじきじきにお手紙を頂いて、難しい詩なのでなかなか作曲できなかったというようなことが書いてありました。きっと、ご苦労なさったのでしょう。曲は荘重な感じで、歌うのがちょっと難しい感じもしますね。

…現在詩人としてご活躍ですが、学生歌の作詞から今日まで19年間をふりかえって、なにか一言。
中村 この学生歌が、私の作った詩で世に認められた最初の作というわけです。もともと詩作は好きでしたけれど、やはり本格的に詩作の道に入ってみようと思いたったのは、この学生歌の入選が一つの転機になったように思います。

 学生歌を作詞された中村千栄子先生は平成9年9月にご逝去されました。当時、中村先生へのインタビューを担当された箕輪眞澄先生(新潟大学名誉教授)も平成11年10月にご逝去されております。学生歌の特集にあたり、新大広報第21号(昭和47年6月発行)掲載のインタビューを一部抜粋し転載させていただきました。

■作曲者プロフィール

箕作秋吉
(写真提供:日本近代音楽館)
作曲家
箕作 秋吉

 新潟大学学生歌を作曲した箕作秋吉(みつくりしゅうきち、1895年-1971年)氏は、1920~1960年代に活躍したクラシック音楽の作曲家であり、東京帝国大学工学 部出身の化学者(理学博士)でもあります。東京都に生まれ、江戸時代末期の蘭学者、箕作阮甫の曾孫にあたります。大学卒業後、ドイツ、フランスに留学し、ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所で物理化学を研究する一方、G・シューマン教授に和声学を学びました。日本現代音楽協会の再建にも尽力し、初代委員長を務められました。東洋音楽大学教授、新潟大学講師も歴任されました。作品は感情を直接的に表現した抒情的なものが多く、また「日本的和声」を提唱され、日本の音組織全体の再構築を試みました。主要作品には、管弦楽伴奏歌曲/管弦楽曲「芭蕉紀行集」、管弦楽のための「小交響曲」(ワインガルトナー賞優等入選)、「ピアノ協奏曲」(尾高賞佳作)、「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」などが挙げられます。これら数々のクラシック作品に加え、『お月さま』(作詞:深尾須磨子)、『叱られ坊主』(作詞:サトウハチロー)などの童謡も数多く手がけられました。

新潟大学合唱団と学生歌

八巻正幸
新潟大学合唱団団長
理学部物理学科2年
八巻 正幸


 私が新潟大学合唱団に入団するきっかけとなったのは、入学式の際に合唱団の先輩達が披露した「新潟大学学生歌」です。
 雄大に歌い上げられる男声、美しく響き渡る女声。そして荘厳に奏でられる伴奏で演奏される学生歌は、これからの未来を担う学生である私達を謳う歌としてとて も相応しいものであると思い、深い感銘を受けました。
 合唱団に入団するきっかけともなったこの学生歌を、合唱団の一年間の集大成である定期演奏会、新入生を歓迎する入学式、そして卒業生を送る卒業式など、様々な場面で皆さんの前で歌えることを私は誇りに思います。
新潟大学合唱団の演奏風景
新潟大学合唱団の演奏風景

言語としての寮歌、

玉井摂太郎

そして新潟大学学生歌

農学部4年
玉井 摂太郎


 私は入学以来、六花寮の寮歌の1曲として新潟大学学生歌に親しんできました。
♪みはるかす越しの山なみ 悠久の時を刻みて 脈々と大らかにあり 頂の雪の白きは・・・♪
 私が本当の意味で寮歌・学生歌の良さを知るのは、もっと月日が経ってからだと思います。見知らぬ人がふと寮歌・学生歌を口ずさむ。ただそれだけなのに、私は嬉しくなり、親しみを覚え、瞬く間にその人と意気投合するでしょう。外国の知らない土地で、偶然日本人と出会った時のように。寮歌・学生歌はいわば同窓の証であり、同窓の共通言語とも言えます。
 所存の外、今日、一般新大生が学生歌を歌えない事は、その事実に関する多岐に渡る問題よりも先に、私は単純に悲しく残念な事だと感じます。
 『ずっと受け継がれてきた先人たちの血潮である学生歌、全新大生から今一度放たれ、その輝きを取り戻さん事を欲す』
コンパの後はいつも寮歌・学生歌の大合唱で締めくくる。