資料で見る 新潟大学56年の図書館のあゆみ
 新潟医科大学、長岡工業専門学校、新潟高等学校、新潟第一師範学校、新潟第二師範学校、新潟青年師範学校、新潟県立農林専門学校が母体となり、昭和24年に新潟大学が発足しました。しかし、広い県内に点在していた施設は、政治的な理由から統合が進まず、中央図書館建設も宙に浮いた状態が長く続きました。統合の見通しのたった昭和47年に、中央図書館はようやく五十嵐キャンパスに新設され、その後目覚ましい発展をとげ、新潟大学の教育・研究に大きく貢献しています。旭町キャンパスの旭町分館も整備が着々と進み、24時間利用も可能になりました。
図書館のあゆみ   新潟大学の動き
旧教育学部分館(昭和4年~)
旧教育学部分館
(昭和4年~)

平成13年から旭町学術資料展示館として活用されている。平成17年、「医学部の表門及び煉瓦塀」とともに、国の登録有形文化財に登録された。登録有形文化財(建造物)は50年以上の建物が対象で、従来の国の指定重要文化財と異なり規制が緩やかで、積極的に活用できる。

旧医学部分館(旧中央図書館、後に旧旭町分館)(昭和5~57年)
旧医学部分館(旧中央図書館、後に旧旭町分館)
(昭和5~57年)

新潟大学の発足後、中央図書館としての機能も担った。

旧人文学部分館(大正8年~昭和47年)
旧人文学部分館
(大正8年~昭和47年)

旧医学部分館閲覧室(昭和30年頃)
旧医学部分館閲覧室
(昭和30年頃)

昭和24年

昭和24年、新潟大学発足
昭和24年、新潟大学発足
旧教育学部講堂で開学式が行われた

昭和35(1960)
    昭和37年、教養部が発足
昭和37年、教養部が発足
旧人文・理・教育学部の校舎を借りて授業が行われた。

昭和39年 新潟地震

昭和40年 歯学部が旭町地区に新設。

昭和41年、プレハブ校舎新設
昭和41年、プレハブ校舎新設
新潟大学統合問題が紛糾。夏は超暖房、冬は超冷房の中での授業が続いた。

昭和42年、脳研究所が旭町地区に新設。

昭和43年、新潟大学本部占拠
昭和43年、新潟大学本部占拠
統合問題は、学内紛争、更には全国的な学園紛争とも呼応して、激化、泥沼化し、学内の各施設が学生により占拠された。
昭和45(1970)
昭和47年、中央図書館が五十嵐地区に新築移転
昭和47年、中央図書館が五十嵐地区に新築移転

昭和54年、平日20時まで時間外開館開始
昭和54年、平日20時まで時間外開館開始
昭和45年、学内紛争が終息に向い、教養部、理学部は五十嵐地区移転
昭和45年、学内紛争が終息に向い、教養部、理学部は五十嵐地区移転
各学部の五十嵐地区への統合は加速されたものの、医・歯・脳研は旭町地区で整備することになった。
(新潟日報より)

昭和47年 文学部が五十嵐地区へ移転。

昭和49年 農学部が五十嵐地区へ移転。

昭和54年 法文学部(元人文学部)が人文学部、法学部、経済学部に改組。

昭和55(1980)
昭和57年、旭町分館が新築移転
昭和57年、旭町分館が新築移転

昭和58年 中央図書館増築。

 
昭和55年 工学部が五十嵐地区へ移転。

昭和57年 教育学部が五十嵐地区へ移転。

平成2(1990)
平成6年 O P A Cが学内LANに接続。

平成7年 インターネット利用者端末の図書館での利用開始。附属図書館ホームページ開設。MEDLINEが学内LANに接続。

平成8年 マルチメディアコーナー設置
平成8年 マルチメディアコーナー設置

平成9年 貴重資料画像情報検索システム開始。

平成10年 貴重医学資料画像データベース公開。

平成11年 学生証を図書館利用カードに兼用。

 
平成5年 教養部が廃止。

平成6年 学内LAN網の構築と専用回線によるインターネット接続開始。

平成12(2000)
平成12年 一般市民への図書貸出開始。旭町分館が増築され、24時間開館が開始された。

平成14年 電子ジャーナルの閲覧開始。

 
平成16年、新潟大学が国立大学法人に移行。新潟大学全学同窓会連絡協議会が設立。

平成17年