特集 新潟大学六花寮

初代六花寮 新潟市中央区西大畑町 1919(大正8)年~1965(昭和40)年

若き日の師であり故郷

小林雄司

(法・昭和28年入寮)

 入寮した当時はビックリすることばかりでした。夜中に腹がすくと洗面器でそうめんやうどんを茹でてみんなで食べました。翌朝にはその洗面器で顔を洗い、洗濯もします。夜にはストーム(寮歌を高唱しながら、騒々しく気勢をあげて楽しむこと)もありました。反面、清和寮という一戸建てがあり、家庭的な雰囲気の中で囲碁、将棋、談話を楽しむことができました。寮での生活は大人としての出発点でした。先輩から教えられ、ものを考える基本を学びました。のちの人生の歩みに大いに役立ちました。

 

昭和30年前後に玄関前で撮影された集合写真

昭和30年前後に玄関前で撮影された集合写真

昭和30年前後に玄関前で撮影された集合写真

昭和30年前後に玄関前で撮影された集合写真

ああ六花寮! ~今にも生きる寮友とのつながり~

寮祭では寮が一般開放され、各種の催しがみられた。部屋も開放され、展示などが行われた。写真は六花寮史の黎明期を伝える展示。

寮祭では寮が一般開放され、各種の催しがみられた。部屋も開放され、展示などが行われた。写真は六花寮史の黎明期を伝える展示。

角田紘二

(医・昭和37年入寮)

 昭和37年4月から6年間寮生活を送りました。西大畑の寮に入寮して金衛町に移転したまさに歴史的な時代でした。西大畑の寮は旧制新潟高校時代の面影をそこかしこに残していました。寮生活は、それまでの親の保護を受けていた生活と全く異質のものでした。肝を抜かれたストームや、バンカラな六花寮祭、二葉寮生との尾瀬旅行など青春の映像が次々に浮かび上がってきます。今でも毎年、同時期の寮生と旅行を兼ねた飲み会を行っています。持ち回りで幹事となり、観光地や歴史的な土地建物を見学し、温泉に入って一杯やり旧交を深めています。昔の寮生活や仲間を思い出す楽しい一時です。

(寮誌「六花」復刻集より)

西大畑の旧六花寮記念碑 ~ここに新潟大学六花寮ありき~

記念碑
新潟大学旧六花寮生親睦会 代表幹事

阿部孝士

(理・昭和37年入寮)

 新潟市が建立した「どっぺり坂」(位置は雪華9号を参照)の石碑を見る度に、いつか我々も旧寮の敷地内に六花寮を偲ぶ記念碑を建立したいと思っておりました。新潟市在住の旧寮生は月に1~2度集まって懇親の宴を開いておりますが、平成18年秋頃、その席で石碑建立について提案したところ、全員の賛同が得られました。平成19年4月、新潟大学旧六花寮生親睦会の総会で寄附を募ったところ、多額の賛助金を賜ることができました。そして、旧寮の敷地内(現在の新潟大学附属特別支援学校敷地の東端、どっぺり坂のほぼ正面)に記念碑(下の写真)を建立出来ました。平成19年11月3日には有志が集まり、除幕式も行われました。

※文中の寮の名称は出典に従いました。このページにおける「旧六花寮」の名称は、本誌特集の「初代六花寮」を指します。

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